「不仲って本当ですか!」成田空港で集中砲火…それでもミイはなぜ「ピンク・レディーのアメリカ進出」を後悔していないのか

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1: 湛然 ★ 2024/11/06(水) 06:14:17.98 ID:1rDQd4WC9
「不仲って本当ですか!」成田空港で集中砲火…それでもミイはなぜ「ピンク・レディーのアメリカ進出」を後悔していないのか
11/5(火) 9:00 デイリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e3d9ea9346b3835b7ac2a4b6edf6ea17c3ac3c2?page=1

未唯mie(左)と増田惠子。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20241105-01207368-shincho-000-1-view.jpg


 禍福はあざなえる縄の如し。成功の傍には、転落の穴がぼっかりと口を開けて待っているのが世の常だが、昭和を代表する女性デュオも同様である。「ピンク・レディー」解散のきっかけは、絶頂期に決まった「アメリカ進出」だった。

 帰国に際し流れた不仲説を覚えているファンも多いだろう。アメリカで出演していた冠番組が好評だったにもかかわらず帰国を選んだのはなぜだったのか。嵐のような「アメリカ進出」とその舞台裏をミイ(現・未唯mie)本人が語った。

(「週刊新潮」2015年8月25日号別冊「『黄金の昭和』探訪」より「『スーパースター』運命の一日 ピンク・レディー:日本芸能界をすべて敵に回したアメリカ進出」をもとに再構成しました)

 ***
■米プロモーターから申し出が
(※中略)

■芸能活動に対するスタンスの違い

 昭和54年5月、アメリカでシングル「Kiss In The Dark」が発売され、翌月にはアルバム「PINK LADY」も発売となった。シングルは全米チャートで37位にランクイン。三大ネットワークの一つであるNBCからも、主役としてバラエティ番組のオファーが来た。彼女たちの挑戦は、順風満帆のように見えた。

 ところが――。

 この頃になって、2人の芸能活動に対するスタンスの違いがはっきり出るようになったのだという。

「私もケイも、始めは『ぽっと出ですぐ消えてしまうのは嫌だ!』と必死に走り続けてきました。ただ、その前年にレコード大賞を獲った後、ケイは『これまで食べる時間も寝る時間もなく走ってきたんだから、これからは落ち着いて仕事をしたい』という考え方になったんです」

 一方のミイは、

「ブームになっているからこそ出来るチャレンジもある、と思っていた。自分たちがすごい才能に恵まれているという自信もありませんでしたから、これだけのチャンスは二度とないだろうと思っていたのです」

■「これ以上は耐えられない」

 昭和55年の1月には、ロサンゼルスにマンションを借り、現地での生活がスタート。毎週金曜日のゴールデンタイムには、先に述べたNBCの「PINK LADY SHOW」も始まった。

「わずか1時間の番組なのに、収録に5日もかけるんです。ゲストを呼ぶにしても、本命から芳しい返事がもらえないと、私たちも撮影現場までお邪魔して、直接お願いしました。ある俳優には、『そんなことより、君の家の電話番号を教えてくれよ』なんて言われましたけどね」

 この番組は、2人が水着姿でコントに挑むなど“体当たり”の姿勢が話題を集めて局の評判も上々。当初は6回を予定していた番組の延長の申し出があったという。しかし、

「契約更新のためには、日本の芸能界を離れて活動の基盤もアメリカに移さなければいけなかった。私はそれでも挑戦したかったのですが、ケイはどうしても日本に帰りたいようで『これ以上は耐えられない……』と。そこで、延長を断り帰ることになったのです」

■業界を“敵”に回した2人

 そんな2人を待っていたのは、バッシングの嵐である。実は、急な全米進出のため、日本でびっしりと詰まっていたスケジュールはほとんどがキャンセルされていた。業界を“敵”に回した彼女たちに、芸能マスコミは冷たかった。

「4月、成田空港に降りると、いきなり、『解散するんですか!』『不仲って本当ですか!』と集中砲火を浴びたのです。呆気に取られました」

 あれだけヒットしていた曲も“日本不在”が響いたのか、売り上げは落ち続ける。結局、その年の9月、ピンク・レディーは解散を発表した。デビューから5年にも満たない早さであった。

 37年前の決断を振り返ってミイは、「絶頂時から、私もケイも、『ピンク・レディーはブームが生み出したモンスター。落ち着いたら本当にやりたかった音楽をやろう』と思っていました。だから、アメリカ進出を後悔しているわけではありません」と言う。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
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ネットの反応

13: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:46:14.56 ID:pdT9DUWj0
>>1
生前の阿久悠も
「アメリカ進出が失敗だったというのは
日本の芸能メディアが流したデマだった」と話していたな

 

71: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:35:14.73 ID:a9CPB3M80
>>13
阿久悠はいわば育ての親
庇う側の人間だからそりゃそう言うだろう

ビルボードHOT100で最高位37位という記録だけみれば大したものだけど
これは莫大な予算を投じた結果
費用対効果でみれば37位止まりで成功とは言いがたく
巨額の金をこの先かけ続けてブレイクが見込めるのかと懸念が生じ、そんな中でのケイの限界宣言
ケイの思惑は別のところにあったのだろうけど結果的には渡りに船だった

 

125: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 11:18:18.30 ID:EkOXQPio0
>>71
この記事見ると話が違う

 

55: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:01:06.49 ID:XF+5/+fk0
>>1
デビューから解散までの詳細を書いた
ノンフィクション本とかあれば読んでみたいな
本人たちは絶頂期の記憶ないらしいから
難しいかも知れんけど

 

75: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:41:11.49 ID:mSZlAAHA0
>>1
自分の人生やねんから
やりたいことやったらええねん
アメリカ進出したくて、チャンスがあってんから
やらずに指くわえて「あー、アメリカで活動したかったな…」なんて
死んでも死に切れんやん
2人ともよくやったと思う

 

99: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 09:08:19.60 ID:miL/CS100
>>1
アメリカでの冠番組なんて司会者との英語のやり取りもまともに出来なくて打切りだっただろ

 

2: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:16:31.68 ID:tLnzfyEG0
なんで今更

 

3: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:19:18.58 ID:Yz2Kd1ZG0
睡眠時間30分でこき使って、給料はすずめの涙だろ、そりゃ逃げたくなる

 

15: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:53:02.74 ID:omlfWhO40
>>3
そして解散後に増田恵子として出したソロの曲が「すずめ」

 

38: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:40:29.85 ID:ktNGN1BX0
>>15
ミーより先に歌がヒットして嬉しいと言ってたな
ケイはミーにライバル心があったはず

 

77: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:42:05.58 ID:a9CPB3M80
>>38
無節操な展開も忘れられない

増田恵子シングル
1st「すずめ」作詞作曲:中島みゆき
2nd「ためらい」作詞作曲:松任谷由実
3rd「らせん階段」作詞作曲:竹内まりや

 

5: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:22:30.37 ID:dt5B3x/F0
米版の「PINK LADY」持ってるけど価値あるのかな?

 

34: 警備員[Lv.9][新芽] 2024/11/06(水) 07:36:17.10 ID:LnBRqubL0
>>5
残存枚数次第

 

6: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:24:56.11 ID:34UcM/Ce0
紅白の裏番組に出たから干されたのでは

 

10: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:34:49.40 ID:w/L/dfz+0
>>6
そうだね、実際紅白辞退したあたりから人気がガタ落ちしたから。あの頃の紅白の影響力って今と比べ物にならないくらいあったから
 
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7: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:26:57.73 ID:dC1IcjkA0
当時は裏側とか幼いから全然知らないけど、YouTubeで振り返った
インタビューとか昔の動画見るの面白い
ラストコンサートとかキャンディーズと比べるとエグいぐらい集客の差がある
数年前まで人気絶頂だったのに、事務所に潰された様なもん

 

9: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:34:11.01 ID:/ldO0e0T0
多忙過ぎて振り付けの練習とかほとんどした事ないんだってな
酷いと現場で覚えてぶっつけとか
でたらめな時代だからこそ生まれた化け物だな

 

17: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:56:33.85 ID:BXquSZ8j0
>>9
こういう人達って凄いよね

 

16: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 06:54:08.74 ID:fk81iFxT0
何かの本で読んだが昭和52年の12月頃は睡眠時間が1日1時間だったらしい

 

23: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:22:50.54 ID:qR6B9qbL0
さあ
ネバネバネバネバ

 

82: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:43:49.03 ID:mSZlAAHA0
>>23
珍しくレコード買ったわ

 

24: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:22:56.38 ID:t1Q42jjm0
70年代のスターと言えば山口百恵のイメージがあるが瞬間最大風速ではピンクレディの方が上だったんじゃ?

 

37: 警備員[Lv.9][新芽] 2024/11/06(水) 07:39:30.59 ID:LnBRqubL0
>>24
瞬間最大風力はピンクレディで
長く活躍が山口百恵かなドラマ赤いシリーズとか
ピンク・レディーは幼児から大人まで人気があった
性に目覚めた男子には最高だった

 

45: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:51:07.94 ID:P46rHFHu0
>>37
百恵の曲の歌詞は際どいのが多かったけど
ピンクレディのは宇宙人とか野球選手とかネタっぽくて健全よね(´・ω・`)

 

59: !ninja 2024/11/06(水) 08:07:55.55 ID:6jrHrcx00
>>45
やっちゃいな♪
やっちゃいな♪
やりたくなったらやっちゃいな♪

 

30: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:30:01.84 ID:B9ne4+cC0
ピンクレディーは小学生や幼稚園児にも大人気だったけど引退の頃は聖子やたのきんに興味が移ってたような

 

32: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 07:31:49.37 ID:zjzJvROy0
やっぱりエンタメは昭和だよな

 

57: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:04:49.32 ID:zcMBKWNm0
ピンク・レディーの記憶は、ペッパー警部から波乗りパイレーツまでは覚えてんだが、その後の記憶がワイドショーで流れてた解散コンサート。

 

58: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:07:19.83 ID:C5Bdj3Cu0
下手ではなかったが上手くもなかったよな、歌

 

60: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:08:24.10 ID:pUeoMRDw0
所属事務所が何を考えてたのかだな
当人たちへのフォローを蔑ろにしたら成り立たないのに

 

63: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 08:15:51.14 ID:KrcZrHHO0
>アメリカで出演していた冠番組が好評だったにもかかわらず帰国
全く記憶にないけどそうだったのか

 

111: 名無しさん@恐縮です 2024/11/06(水) 10:19:19.14 ID:uqmWmfM20
>>63
爆問の番組で詳しくはやってたけどかなり好評だったしアメリカ進出は成功だったらしい
当時は大失敗で滅茶苦茶叩かれてたからびっくりした
田原俊彦のビッグ発言の会見も同じ番組で長く映してたの見たら、記者も爆笑してたり終始和やかムードでその後のバッシングとの乖離に驚いた
SNSない時代のマスゴミって本当にゴミ以下

 

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1730841257/

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